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医学を知らない子供たち 1月に第2子を出産したママタレ・優木まおみが、インスタグラムのコメント欄へ寄せられた中傷コメントを公開。「言いたいことあったらダイレクトメッセージにしてほしい」と呼びかけた
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ALSという病気は、謎が多い病気です。
最初に現れる症状も人それぞれで、進行具合も様々で謎です。
また、発症年齢も性別もそれぞれ違います。
それに加えて、生活環境と「ALSという病気」の捉え方が人それぞれ違います。
こういう事が、ALSをより難しい病気にしていると考えています。
難しいと言っても、僕はALSを発症して20年以上の療養生活の経験があります。
このALSを乗り越えた者として、少しだけ考えを書かせてください。
医学書を開いてALSのページを読むと、本当に人生を諦めたくなります。
たぶん、多くの人も同じように思うはずです。
僕もそうでした。
「もう、人生終わった」と思った瞬間があります。
しかし、医学書をよくよく読むと、全員が同じ様に進行するとは、どこにも書いてないのです。
患者は、ここに未来を見つけるべきです。
僕はALSの診断が確定した3週間後に、ある有名な医者に会いに行きました。
何とかして欲しかったのです。
その医者は、僕にこう言いました。
「今の医学でも、まだ解らない事が沢山あります。何が起こるか分からない」と。
この時に僕は「何が起こるか分からない」という言葉に未来を見つけました。
また、同じ時、余命いくばくもない乳癌の患者さんと出会ったのです。
その方は、入院していた僕の身の回りのお世話をしてくれました。
その方が亡くなる2ヶ月前、僕のALSをこう言ったのです。
「いいわね~」と。
つまり、「呼吸器を着けたら死なないよね」という意味です。
僕は、その方の魂の呟きを聞いて「ALSという病気」のイメージが変わりました。
同時に「ALSという病気」は、たいした病気ではなくなったのです。
現在、僕は人工呼吸器を着けています。
でも、恵まれた環境の中で「病人ではなく、生活者として」笑顔で暮らしています。
そういう中で、7年前に2つ目の会社を設立し、その会社の代表として、明るいスタッフと一緒に、にぎやかな日々を過ごしています。
そうは言っても、多くの方から「喋れなくて動けない体なので、不自由しているはず」と思われているらしいです。
確かに僕は、喋れなくて動けません。
でも、そんな事はALSを乗り越えると決めた時から想定内にしていました。
それで、困らないように、また我慢や不自由をしなくてもいいような方法を考えたのです。
今、「手となり、足となって」僕の代わりに動いてくれるヘルパーさん達が周りにいます。
全員、心を許せるヘルパーさんで、全てに対して動いてくれます。
必要ならば24時間側にいますし、入院時は病室でも検査室でも24時間離れずに付き添います。
こういうヘルパーさんのおかげで「喋れないストレス」も「動けないストレス」もなく、日々の生活も皆さんに見せたいくらいに、普通に過ごしています。
そうなのです!
ALSは乗り越えられるのです。
ALSを乗り越えるために重要なことは、最初に自分の病気(ALS)を知ることです。
なぜなら、これから起こる事を想定内に出来るからです。
僕が思うに、このALSは悪い面ばかりではありません。
それは、まず、ただちに死ぬ病気ではないということ。
これは有り難いことです。
そして、自分の体が、どんな状態になるのかを予測出来る病気だということ。
これは見方を変えれば、先回りして手が打てる病気に変えられるということです。
先回りが出来ると、自分の将来像を頭の中で描き、そこから逆算して「今、自分がやるべき事」が分かります。
これも有り難いことです。
しかし逆に、自分の病気(ALS)を知ろうとしないで、棚上げにすると、全てが想定外になります。
「こんなはずじゃなかった」と、ここでボタンの掛け違いが起こって、数年後も尾を引きます。
そして、やることなすことが全て後手になります。
これは、とても不幸なことだと僕は考えています。
やはり、最初に自分の病気(ALS)を知ることは、極めて重要なことです。
受容とは違います。
受容なんかしなくていいので知ることです。
自分の病気(ALS)を知ると「未来がある病気」に変えられます。
今の時代、本人とご家族が望めば、在宅で呼吸器を着けて暮らすことは難しくありません。
ALSは人生の終わりではなく、ずいぶん乗り越えやすい病になったと感じています。
いや!乗り越えなければいけない病になりました。
近い将来、ALSは治る病気になるはずです。
だから、それまでは何としても、乗り切らなくてはいけません。
僕は本気でそう考えています。
最後になりますが、現在、僕のALSは進行が止まっています。
進行が止まって10年が経ちましたが、大学病院の医師も「止まっている」と言います。
というより、むしろ元気になっています。
「何かが起こった」のでしょう。僕は、こういう事は起こりうる事だと考えています。
なぜなら、ALSは謎が多い病気だからです。
■ 僕のような無名の電子書籍は、紹介を止めるとすぐに忘れられるので、今日もまた 中野玄三のGシリーズを紹介させてください。
1994年(平成6年)にALSを発病。
ALSを乗り
そういう中で、東京の長田医師から書籍化を勧められ、
僕が伝えたいことは「乗り越えて欲しい」ことです。それで具体的に、乗り越えて行くプロセスと乗り越えた生活とは、どんな生活になるのか?を患者の目線で実際の生活を書いています。
このGシリーズを通して「こんなALS患者もいるんだ」「呼吸器をつけても、こんな生活が出来るんだ」という事を知ってもらえたら最高の喜びです。
電子書籍は、無料アプリをダウンロードすると、パソコン・スマホで今すぐ読めます。
すでにGシリーズをご存じの方、引き続き応援よろしくお願いします!
■ 「ALSは乗り越えられる」Gシリーズ
ALSを発病して望みを失った
この体の異変を誰にも知られたくない。家族、会社、知り合いにも隠す。
押し潰される!死にたくない!
これがALSの発病を知らせるサインだった!
■ ALSは乗り越えられる
人生の岐路で運命を変えた一言
自宅に戻るも、家庭崩壊の危機
こんな生活に何の意味があるのだろう?悔し涙。
是非読んで欲しいシリーズです!
■ ALSは乗り越えられる
体重31キロ!呼吸苦に耐える
生活のため自らの意思を貫いた
逆境の中でALSを乗り越える手掛かりを掴んだ。
■ ALSは乗り越えられる
いよいよ運命の呼吸器をつける
ALSでも必ず家族は僕が守る
僕と医師のチャレンジ!在宅の危機! ALSの進行止まる!
■ 新着
ALSは乗り越えられる
ALSを乗り越える新たな考え
ALSによる四大ストレス解消
なぜ僕達のチームは、いつもうまくいくのか?
■ ALSは乗り越えられる
Gシリーズ6は 只今執筆中です
■ 未来は自分の力で切り開く
3つの夢を掴み絶好調の暮らし。
自ら考えて 自ら決める環境で育った
ALSを乗り越える時、これほど過去の知恵と諦めない心が役に立つとは!
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・
中野玄三 フェイスブック
今日からブログタイトルを変更しました!
もうとっくに卒業気味でしたが
タイトルを変えたことで本当の意味で
受験生応援ブログは卒業!
受験関連の過去記事は公開記事が殆どです。
そのままにしておきますね。
アメンバーにならせて頂いている一部の方のブログを除いて
受験生さんのブログにお邪魔することも減ると思います。
それでも受験生の皆さん、頑張ってくださいね(^_^)v
陰ながら応援してます(*^_^*)
・・・・・・・・・・・・
息子たちの子育ても、ほぼ終了(^_^)v
これからの私のブログは、タイトル名通り、
愚痴っぽいブログが多くなりそうです(>_<)
「親と言えば愚痴」と言うのも何ですが
正直、そうなりそうww
それでも、等身大の正直なブログとして
これもまた、自分の人生の一部!
気持ちを整理する上でも、書かせてもらいます。
後ろ向きなブログに感じ、
マイナスオーラを浴びたくない方は
どうぞ、読まずにスルーをお願いします<(_ _)>
それから、息子受験時から仲良くさせて頂いている
医学生の保護者様方、
今後とも宜しくお願い致します(*^_^*)
なかなか一筋縄ではいきません
火・木・土更新です
このブログは私個人の感想をマンガ的なイメージで描写したもので、医学的な根拠があるものではありません。 お薬の作用・副作用は人それぞれです。
服用をお考えの方はお医者さまにご相談ください
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私自身に起きた、死産までの記録になります。
似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。
妊娠中の方は不安になるかもしれまん。
また、辛い内容が含まれています。
天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。
ご注意願います。
流産・死産宣告を受け、不安な日々を過ごすようになりました。
それでも、ピヨちゃんの命を救いたいと奇跡を信じ願っていました。
振り返り記録、前回の記事
死産までの振り返りまとめはこちら
朝、目が覚めてひとつひとつ思い出す。
私は今結婚していて、妊娠していて、入院していて…
そして流産・死産を宣告されたこと。
これが現実のストーリーなのだと。
まるで余命宣告を受けた後の朝のよう。
でも、あれが最後通告ではないと信じている。
こんなにも医学が進歩した現代でも、妊娠・出産は神秘の世界だ。
どんなに優良な妊婦であっても、最後まで何が起きるか分からない。
逆を言えば、医師が絶望的と見なしても奇跡的な回復を遂げることだってあるはずだ。
可能性がゼロでない限り、赤ちゃんの生きる力は無限大にあるはずだ。
何もできることは無いと言われた今、私に出来ることはよく食べ、よく寝、よく笑うこと、そんなことしかない。
入院当初、食事の量が多すぎて食べきれなかった。
お米の量を減らしてもらっていたのだが、元に戻した。
血流を良くするため、水分は一日2リットル摂るようにした。
左を下にすると良いと聞いたので、なるべくそうして寝る。
笑っていられるよう、バラエティ番組を見るようにした。
どれだけ効果があるのかは分からない。
藁をもつかむ思いだった。
【7月10日(月)】
【18週0日】
入院13日目。
新しい週数に入るのが怖い。
「今日の赤ちゃんの様子」
と表示されるアプリを見れない。
成長が2週間遅れていると言われたピヨちゃん。
どれくらい差がついているのか、突きつけられているような気がした。
出血はまた少しずつ治まってきていた。
しかし、朝方お腹が痛くなる。
激痛ではないが、チクチク突き刺すような痛みがする。
薬が切れるとまだ痛くなるのかな?
お腹をさすっていると、うとうと眠くなってきた。
次の瞬間。
じゅわっと膣から何かが出てくるのを感じた。
まさか…と思ったが、きっとオリモノだ、と自分を落ち着かせてトイレに行く。
ショーツを下ろし、便器に座る。
覗き込むと便器の中が真っ赤に染まっていた。
どうして?
こんなに安静にしていたのに!!
ずっと横になっていたのに!!
水分もたくさん摂っているのに!!
ベッドに戻ってすぐにナースコールを呼ぶ。
大丈夫だよ、大丈夫だからね。
痛いの痛いの飛んでいけ。
頑張れ頑張れ
まだ出て来ちゃだめだからねー。
お腹の中でいっぱいおっきくなるんだよー。
お腹を撫でながら話しかけた。
半分は、自分に言い聞かせていた。
すぐに診察をしてもらった。
ピヨちゃんの心臓はしっかり動いており、子宮口、経管長にも変化はなかった。
良かった、陣痛はまだ起きない…
安心したのと同時に
剥離はまた進んでしまったのか…
不安になる。
羊水の量については何も言われなかったが、怖くて訊くこともできなかった。
もらったエコー写真は、羊水が少ないためか不鮮明だった。
丸く縮こまったピヨちゃんが、窮屈そうに見えた。
この日は戌の日。
外出することはもちろん出来ないので、母が代理で神社に行ってきてくれた。
安産祈願と一緒に、流産をしないための祈祷も行ってもらった。
昔ながらの腹帯に、お守りがふたつ、木の札が一枚。
午後、腹帯を巻きお守りを持って写真を撮った。
お守りは、家から連れてきたぬいぐるみ達につけ枕元に置いて一緒に寝た。
腹帯は毎日抱きしめ、お祈りした。
「どうか、ピヨちゃんをお守りください。」
みんなに見守られている。
だからきっと大丈夫。
ピヨちゃんはきっと助かる。
【7月11日(火)】
【18週1日】
子宮内感染の治療の抗生剤の点滴が終了となった。
数値はまだ若干高いが、下降現象にあることと、抗生剤をあまり長く使用するのは良くない、ということだった。
これからは、朝の診察で膣洗浄をするのみで、管理入院となる。
【7月12日(水)】
【18週2日】
できることは全部した。
ご飯は残さず食べる。
水分もたくさん摂る。
なるべく横になる。
泣く回数も減って、笑うようにしている。
ピヨちゃんにも毎日たくさん話しかけている。
だから羊水はきっと増えている。
ピヨちゃんも大きくなっている。
少しずつ、前向きに考えられるようになっていた。
夕方、主治医のI先生に呼ばれた。
また詳しい検査をしてみましょうと。
流産・死産宣告をされてから約1週間である。
先生はいつも優しく笑顔で声をかけてくれる。
だから今の自分の状況を一瞬忘れそうになる。
まるで、日常の楽しい一コマにいるような気分になってしまう。
でも、突きつけられた現実はさらに厳しいものだった。
「羊水はほとんどないですね。」
どうして?
どうしてなの…?
ピヨちゃん
空っぽになったお腹の中は不安だったよね。
それでもお腹の中にいてくれたのね。
お母さんがまだ出てきちゃダメって
言ったからね。
偉かったね、ピヨちゃん
へ続く。
ご訪問ありがとうございます
DaiGoさんは録音もOKにしてくれました
最後にとても心に響くお話があったので
ゆっくり聞き返したいと思います
それにしても飼っている猫のぬこ様&みこ様は可愛いですね
●天国へ旅立つ赤ちゃんに・・・
今年の9月9日。
日本の陸上界に大ニュースが飛び込んだ。
福井市で行われた日本学生対校選手権の男子100メートル決勝で、
桐生祥秀(よしひで)選手(21歳)が日本人初となる9秒台を公式に記録した。
記録は9秒98。
それは来日していたウサイン・ボルトが、
「多くの日本選手から自信が感じられた。おそらく2年で10秒を切るだろう。」
とテレビのインタビューで答えていた、そのわずか4日後だった。
一年以内は、絶対無理だろうと踏んでいたボルトの予想を、
日本人は、いい意味で彼の予想を僅か4日で裏切ったのだった。
しかし、この桐生選手の奇跡の日本記録を見ていたあるお母さんは、
別の意味で、感動していたのである。
それは、桐生選手のゼッケンナンバーだった。
257。
読み方によっては、「にこな」と読める。
天国から「にこな」ちゃんが、今行おうとしている活動を応援している気がしたという。
今から約3年前の2014年9月5日。
佐賀県で、ひとりの女の子が産まれようとしていた。
陣痛の途中で心拍が低下し、女の子は、
泣き声をあげず、
静かに産まれてきました。
死産でした。
PM 2:57に産まれた女の子なので、虹光奈(にこな)と名付けた。
それは私の名前は「にこな」なの。と赤ちゃんがアピールしている様な気がしたという。
身長は37㎝しかなく、小さめだったので、
お店には、大きなダブダブなものしかなく、着せてあげる服が無かった。
悲しかった。
すると、医大の方が、手作りで「にこな」ちゃんに、ぴったりの服を作ってくれた。
涙が出た。
「にこな」は、可愛いお洋服を着てお空へ旅立ちました。
そして、その思ったのが、
きっと、他にも、
自分と同じ悲しみに直面しているお母さんが居るんじゃないかという事だった。
支援者の一人は、ブログで下記の様に語っています。
(私の)希ちゃんは小さすぎて、
洋服がなかったので
くまさんの黄色の小さなタオルに、
くるまれてお空にいきました。
亡くなっても可愛いい我が子に、
素敵な洋服でお見送り出来たら… (nozomi-mama ブログより)
そんな悲しい経験をしたお母さん、
そして産まれてきた赤ちゃんにも、ぴったりな服を着せてあげたい。
悲しい現実の中にも
何かしてあげられる事があれば… (にこなママブログから)
その悲しみから前に進むために、友人と立ち上げたのが、
「にこにこ257の会」だったという。
同じ様に、産まれたばかりの赤ちゃんを亡くした人達を助けたい。
死産、子宮内胎児死亡、流産、子宮外妊娠などで、
子どもを亡くした母親(天使ママと呼んでいます。)同士でお話し会を開催し、
手作りのベビー服を作製して、その赤ちゃんに贈ってあげています。
今までの2017年7月末の時点で、
国立病院機構 佐賀病院へ30着、
佐賀大学医学部付属病院へ20着、
佐賀県医療センター好生館へ10着、
久留米大学病院へ10着、
個人病院へ1着、個人宅へ4着、寄贈している。
この活動は、毎日新聞社の目にも止まり、
全国的な記事となった。
しかし、私もその新聞記事を見てみたのだが、
肝心の支援のクラウドファンディングへのリンクが無い。
これでは、クラウドファンディングで行なっている彼らの活動が、どこだか分からず、
あと12日で潰れてしまうだろう。
現在150名もの全国からの支援が集まっているが、あと僅か12日のみで終了だ。
天国へ旅立つ赤ちゃんにぴったりの服を届けたい
そこで微力ながら、私もブログで応援させてもらいました。
天国に旅立つ赤ちゃんに、せめて最後に可愛い服を着せてあげたい。
そんな母親たちを支援しようとしている、「にこにこ257の会」に、
どうか、お金の支援を、とまでは言いません。
彼女たちに・・・
無償の活動をしようとしている彼女たちに、
温かい言葉と、応援の言葉を、かけてあげてもらえればと思います。
小さな赤ちゃん達が、
ぴったりの服を着て天国へ旅立てます様に・・・
END